活動記録>5/27第72回古道探索会  東高野街道(その3)野崎駅〜瓢箪山駅  中谷

前2回とは打って変わって、好天の野崎駅に集まったのは12名。日差しが強くそれぞれ暑さ対策を講じて10時15分に野崎駅を出発した。昔ここは川だったと言う道を野崎観音に向い、旧国道170号線の信号を越えて次の道を右折し、配水場の塀の前にさりげなく置いてあるメノコ橋欄干石の前に着く。謂われは弘法大師がこの道を通った時、この欄干を枕にして休息されたらしい事による。ここまで20分。更に南下し阪奈道路上り線の信号を渡って左折し暫く阪奈道路の歩道を行く。やがて阪奈道路から右に分かれ、住宅街の中を通り善宗寺の横を通って庚申塚に至る。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が刻まれた石碑と説明版がある。更に役行者の像を左に見て須波麻神社に11時に到着、ここで暫し休憩する。ここから小さな谷を渡り、坂を登って大阪城残り石に11時15分に到着。通称残念石、大阪城築城の折石垣に使われる予定だったが大き過ぎたのか、使われずに放置された石だ。同じ道を引き返し善根寺春日神社に11時25分に着いた。

ここには「日本最初春日神社」の額が掛けられていた。この辺りは古事記によると神武天皇ニギハヤヒの古戦場である。更に坂を下って11時50分に安岡正篤旧居に至る。彼は歴代首相の指南役を務め、また平成の元号の発案者でもある。暫く平坦な道を行き孔舎か東小学校に沿って左折し古代蓮を見、井上家に沿い左折して旧河澄家に12時15分に着く。ここで昼食を摂る。河澄家は江戸時代には代々庄屋を務めた旧家で、庭には推定樹齢約500年のかやの大木がある。
13時20分に旧河澄家を出発し坂を登って大池に至り、旧生駒トンネル入口にある孔舎衛坂駅跡から石切駅の前を14時10分に通り、東公園に14時20分に着く。ここで10分休憩し15時に枚岡神社に着く。枚岡神社は「延喜式」に名神大社とある式内社で河内の国一の宮明治4年官幣大社に列せられた第一級の神社だ。10分間境内を散策して狭い道を南下し15時35分に瓢箪山稲荷に到着、境内を10分散策して一応本日の行程を終えた。この神社は大きな双円形の古墳上に祀られ、豊臣秀吉大阪城築城にあたり、伏見からふくべ稲荷を勧請したのに始まるとされている。神社から少し歩いて15時50分に瓢箪山駅に到着した。瓢箪山で有志8人が王将・養老の滝と梯子の反省会をして散会となった。
今回は東高野街道そのものを歩いたのではなく、街道周辺にある旧跡を巡る旅であった。
孔舎か東小学校のかは「衛」の真ん中が「吾」
 写真:庚申塔 須波麻神社 善根寺春日神社 旧河澄家