【予定】 第37回 古道探索会/山背(やましろ)古道探索 つね

青富士

馴染み薄い南山城、山辺の道に似て、山裾歩き。
橘 諸兄の屋敷跡有り。昼食は暑さと雨?を考慮しています。
もちろん晴れれば、井手玉川の新緑木陰で、昼食。(^_^)v


日時: 6月28日(日曜日) JR奈良線 棚倉駅 10:10 集合


  JR天王寺9:08発 大和路線快速 奈良行き →奈良 9:44着
    → JR奈良9:49 普通 奈良線 京都行き →棚倉10:08着


  JR京都9:03発 普通 JR奈良線 奈良行き →棚倉10:01着


   行程: 添付地図の赤い線通り

歩行距離 約7kmの一般向きコースです。高低差 無し
(オプション)地蔵禅院にも寄道する?


備考: 1)雨天決行です。雨具用意下さい。
     2)ハイキングに適した服装、靴、手袋で参加下さい。
    3)昼食、飲み物、敷物、観察用具を持参願います。

  地図: 添付資料参照


(参考事項)
>> 橘 諸兄
>> 天平9(737)年に朝堂の実力者である藤原四兄弟が疫病で合い続き亡くなると、
    政治の実権は諸兄の手に握られるようになる。


>> 天平12(740)年には、
>> 諸兄を中央政界から排斥することを目論む藤原広嗣が、
>> 九州で挙兵し『藤原広嗣の乱』を起こすが、諸兄は征伐軍を編成し乱を鎮圧。
>>

>> しかし『藤原広嗣の乱』以後、相次いで宮を転々とする聖武天皇の行動は、
>> 当時の貴族・庶民らに多大な負担を強いることとなり、
>> それはそのまま政権の中心人物である諸兄への不満となって蓄積されることとなる。
>> そしてこの頃、藤原仲麻呂が急速に台頭してくるのである。

>> 天平勝宝7(755)年、病床に倒れた聖武太上天皇に対して、
>> 酒宴の席上で無礼な発言をし、即座に密告されてしまうこととなる。


>> 今上天皇の逆鱗に触れてしまった諸兄は、決して赦されることはなく、
>> 遂に天平勝宝8(756)年には左大臣職を辞し失脚。
>> 天平宝字元(757)年に寂しくこの世を去る。いわゆる薨去(こうきょ)である。


    『万葉集』には八首遺す。諸兄と『万葉集』の関係は深いと見る向きが多く、
>>   諸兄を撰者とする説や、大伴家持と共同で撰んだとする説などがある。

>> 【薨去(こうきょ)】

>> 皇族または三位以上の公卿(後に武士も)が死去した場合に使用される表現。
>> 天皇・皇后・皇太后太皇太后の場合は「崩御」と表現する。

    添付画像はつね東京行きの空路で撮った物で「青富士」です。